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デジハリWebスクール 戦記

デジハリWebスクールでWeb制作を勉強してます。もちろんブログは非公式です。

「自分でまなぶ」とはなんだったのかー?

デジハリのWebコースを卒業して、追加コースで上野に来て、思うことがある。

それは、「自分で学ぶ」ということについてだ。

 

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数日前までこんなことを思っていたわけなんだけど……。

emma.hatenablog.jp

 

このときは、

想定していたものが、あれがない、これがない、になっちゃってたわけですよ。

 

でもね、ちょっと離れて見てみたら、これは「ない」なんじゃなくて、

学校の「個性」なんだと思ってきたわけです。

 

考えていたのとは、ちょっとちがったかもしれない。

でも、人生とはだいたいこちらが考えているのとはちょっとちがう要件を出してくるもので

その中でどんな風に立ち回り、どんな風に環境を活かしていくか、が重要になってくる。

 

そんなことをぼんやり考えていたら、昨日、こんなものを発見。

w3q.jp

 

Amazonのレビューみたいにね、こういうの聞きたくなる気持ちわかるぞぉ…!と思ってみてみたわけです。まぁ、見てみたら想定通りあるわあるわあるわ……。賛成意見と反対意見。こういうときって、「すごくよかったよ!」っていう人と、「あんなのお金の無駄!」っていう人の2つに分かれる。

 

まぁ、よくある体だな……と思いながら、ぼんやりと眺めていたら、投稿の中にものすごいものを発見しました。こんな荒らしのようなコメントの中に、以下のコメント。

途中まで読んで、「だれ!?このコメントは?」と思い、急ぎ下にスクロールするとなんと今g'sにいらっしゃる児玉さんのご発言。

(昔はデジハリの中の方だったんですね。存じ上げませんでした。。。)

 

どの方法を取っても、結局全くの初心者が別職種のWebのプロになる…採用したい人材になるためには、
『むちゃくちゃ勉強して』『プロの基準の仕事ができる』しかない、
というのはどなたが答えても間違いないかと思います。

そんな中で、我々のような「転職のための社会人スクール」の役割は、
『独学をどんどんご自身で進められるよう、「基礎の体得」と「学び方の体得」をしてもらうこと』と
『作品をプロの目で見てもらうことで「ご自身の中での完成の基準」を高く持っていただくこと』
であると考えています。

 

・採用したい人材になるためには、
『むちゃくちゃ勉強して』『プロの基準の仕事ができる』

 

そうそう。もうほんと、そう!

めっちゃ勉強するしかない!!そして、プロ基準の仕事にどれだけスキルを近づけるか高められるか、が在学中にかかってくる。

 

・『独学をどんどんご自身で進められるよう、「基礎の体得」と「学び方の体得」をしてもらうこと』と
『作品をプロの目で見てもらうことで「ご自身の中での完成の基準」を高く持っていただくこと』
である

 

「基礎の体得」と「学びの体得」も、ほんとうに大事さを感じた。

以前に杉山学長も言っていたけど ”体得” っていうのが、何よりも大事で、それがあるかどうかでものすごくコンテンツに対する”考え方”や”捉え方”が変わってくる。

 

そして、「作品をプロの目で見てもらうことで『ご自身の中での完成基準』を高く持っていただくこと」というのも、まさにそう。

 

自分がいいんじゃないか、すてきなんじゃないか、と思って作ったものを、トレーナーの先生や特別講師の先生に見てもらった時の、ご指摘具合。「全体はいいけど、これだとみる人はどうしていいかわからない(UIの部分)」とか「なんでこのフォント?もっと最適なのありそうだけど」とか、わくわくして見せるものが冷や水を浴びることはよくあること。

 

だけど、スキルを高めていくには、それしかないー。

最初から正解なんてなくて。

 

いまの自分が感じる精一杯の”よさそうなもの”を、仮説として立てて、

それをプロの目で判断してもらう。

いろんな人がネットで書くように、そのプロのスキルにばらつきはある。

専門が違う方もたくさんいらっしゃるし。

 

だから、誰がそのプロの目を持っているかも、よく判断する必要がある。

トレーナーの先生方は、それぞれ仰ることがちがう。

それぞれのバックボーンから気が付くポイントや意識されるポイントが異なる。

 

なので、われわれ学生は、どういうバックボーンからそのコメントなのか、を考える必要がある。というより、どういうバックボーンだからこそのコメントだから、ちがうバージョンのコメントはそれぞれ価値があることであり、問いかけるのをやめてはいけないのである。実際のところは、これを意識するのが、通学していたうえで一番むずかしかったわけですが、これを怠るとろくなことにならない。

 

 しかし、あえていうと、これってスルッとできるには、ハードルが高いんですよ。

だって批評を受け続けるわけでしょ?相当高いメンタリティないと、継続できない。

 

そんなハードな精神は持ち合わせていないから、だんだんそういう質問しなくなっちゃって。しかし、「教えてください」ではなく、「先生だったら、どう思いますか?何か足りないものはないですか?動かしにくいとか見づらいところありますか?」等々、意見を聞いてみるということだけが、後半部分になると活きてくる。

 

むしろ、そこしか活きないー。

 

 

今回、卒制クラスをやめちゃったから、新しくも入れなかったから、「指導はできない。でもトレーナーがいる時間に”意見”を求めることはできるよ」というコメントを何度も頂いた。

 

最初は、もうほんとに落ち込む…っていうか、卒制制作時の学びって、ある意味手取り足取りみたいなところがあってものすごく有効なのに、そしてそれってお金を払う価値があることなのに、わたしはそれを「無」にしたんだ……って思うと、ものすごく悲しかった。

 

だけど、この”意見”を求める姿勢こそが、今回学ぶ上ですべきことの本質だったんじゃないかー。

 

正解なんて、誰にもわからない世界だ。

同じ素材を使ったって、一人ひとり違う人が作れば、違うものが出来上がる世界。

 

だからこそ、”指導”よりも”意見”を求め続ける姿勢こそが、今後の長い仕事生活を考えると有効だったのではないかと思う。

 

 高いお金を払うんだから、いろんなことを教えてもらって当然!と思う人も多くいると思うけど、いつだって高いお金を払うときは、本当にその営業マンが正しいことを言っているのか、契約する会社が信用に値するところなのかを見極めることについて、おろそかにしてはいけない。

 

自分の目しか信じるものはないのだから、その目が叶うなら行けばいいし、

その目が、「ここじゃないところの方が」と思うなら、大事なお金を払わずに別のところに行けばいいんだ。

 

わたしの場合は、もんもんとした学生生活から、そういった思考になれたのは、

だれも聞いてくれないときに、このブログをつけられたから。

 

一回書けば、もう同じことをぐちぐち言わなくてすむし、そこから新しく考えが始まる。毎日生まれて、毎日死ぬ、そんな思考の生活を送りたい。